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わかりあえないバベル以降の人々

こんにちは。
永田です。^^



今日は日本人と外人の間にある「カベ」について話します。













僕たち日本人は、何語を話しますか?

もちろん、日本語ですね。




おとなりの中国人は何語を話しますか?

そりゃあ、中国語ですね。





地球の反対のブラジル人は何語を話しますか?

はい、ポルトガル語ですね。






もしここに、日本人の佐藤さんと、中国人のチェンさんと、ブラジル人のカルロスさんがいきなり集められ、一緒に仕事しろと言われたら、、、、

どうですか?笑
(みんな母国語しかしゃべれない設定)











おそらく、うまく意思疎通できなくて気まずいかんじになったり、なんかもめ事になったり、だれかが怒りだすかもしれません。

(ブラジル人のカルロスがテンション高いフランクな人だったらうまくいきそうですがw)










実はこれ、過程の話でしたが僕たちの日常でふつうに起きていることです。


会社の同僚、学校の留学生、海外の取引先、国際関係のトラブル、などなどいろいろなスケールでこの「カベ」は問題となっています。












僕自身も小6のときにオーストラリアに住んでたのですが、地元の小学校でうまくコミュニケーションがとれず、孤立していた時期がありました。

あの時期はかなり辛かったですね。




僕が英語わからないのをいいことに、好き放題にバカにされたり、いろいろ言われたり。

昼休みも遊ぶひとがいないので、トイレにひきこもったり。笑







もちろんずっとそんなだったわけじゃないんですが、その時期はつらかったですね〜。













じゃあ何がこういったことを引き起こしているんでしょう?





オーストラリアにいた頃の僕と他のクラスメートの間にあったものは、
反日デモをする中国人とぼくら日本人の間にあるものは、

なんなんでしょう??



















いろいろ考えられます。




言語、文化、宗教、習慣、年齢、価値観、考え方
たくさんたくさんたくさん…。





僕らは全く違う場所で、違う環境で、違う言語で育ってきた。
そんななか、どうやったらお互いを深く理解しあえるのだろうか。









喋りたいのに喋れない、
伝えたいことが伝わらない、
理解したいが理解できない。




結果、僕たちはわかり合えない、つながることができない、いつまでも。














この問題は今後もっともっと加速していくでしょう。



90年代以降、EUの発足やWTOによる自由貿易政策など、各国の国境はどんどん薄まりヒト、モノ、カネの動きが急速に拡大してきました。

そして、これからもっともっと人々の移動は増加し、僕たちの日常生活に多種多様な人種の人間が生活するようになるでしょう。仕事場にも、近所にも、学校にも、どこにでも。


つまり簡単に言えばグローバル化です。







その時、僕たちは彼らとわかり合えることができるのでしょうか?
どうですか、あなた自身は?





























みなさん『バベル』という2006年のアメリカ映画をご存知ですか?






モロッコ、カリフォルニア、メキシコ、東京という遠く離れた場所の異なるストーリーがある事件をきっかけに交わっていくヒューマンドラマです。

題名のバベルとは旧約聖書の創世記第11章にある街の名前です。




むかし、世界の言葉は一つでした。
バベルの街の人々は天まで届くバベルの塔を建てようとしました。しかしその人間のうぬぼれを快く思わなかった神は、人々に別々の言葉を話させるようにし、その結果人々は互いの言っていることがわからなくなり、塔の建設は中止されました。
その後、別々の言葉を話す人間たちは、全世界に散っていってしまいました。


この旧約聖書の物語を背景に、言葉が通じない、心が通じない現代の世界の人間を描いているのがこの『バベル』という映画です。




予告編↓
http://www.youtube.com/watch?v=chNzbahOn_w











この映画が取り扱っているテーマはまさしく「カベ」です。
人間にとって最も深刻で根源的な問題のひとつ。









この映画の監督自身も撮影過程においてこの問題と向き合い、次のように述べています。



「撮影中、私たちは“コミュニケーションの難しさ”という、この映画のテーマと同じ問題を抱えていた。たとえばモロッコでの撮影では、アラブ語、ベルベル語、フランス語、英語、イタリア語、そしてスペイン語が飛び交った。しかし、撮影を進めるうちに、本当の境界線は言葉ではなく、私たち自身の中にあると気付いた。人を幸せにするものは国によって違うけれど、惨めにするものは、文化、人種、言語、貧富を越えて、みんな同じだ。人間の大きな悲劇は、愛し愛される能力に欠けていること。愛こそが、すべての人間の生と死に意味を与えるものなのに」












いいですか、みなさん。

英語ができないから外人さんとわかり合えないんじゃないんです(英語を勉強しなくていいという意味ではないし、語学力は絶対に必要です)。











この監督が言うように、
本当のカベは言語ではない。



言語とは表層的に現れる問題であり、問題の根源ではないんです。












思い出して下さい。

アメリカとイラクやアフガニスタンが戦争している時に、あなたは何が原因だと思いましたか?





宗教の違いではありません。宗教の対立という構造は、表層的に見えるものであり、その裏にあるカネ、権力、エゴなどを覆い隠すのに都合がよかった。極めて単純化しやすく、わかりやすく、みながわかった気になるから利用された。それだけ。




それと同じで、僕たちはふだん問題を単純化しがちですが、もっと問題の本質を追い求める必要があります。




僕たち日本人と海外の人たちのカベの問題は「言語」によるものではなく、
『バベル』の監督に言わせれば「愛する能力の欠如」です。






誰かと話すときに、その人を愛するということ。その人を尊敬し、慈しみ、大切にすること。それが必要なのではないでしょうか?










こう考えるとこの問題は日本人と外人さんだけの問題ではないです。

こういったカベは、日本人と日本人の間でも、外人さん同士の間でも存在します。例えば、日本人でも立場の違いや価値観の違いなどで対立するし、同じように海外の人も対立し合っている。










これはいかなる人種でも、そしてあらゆる状況においても発生する普遍的な人間の性質と言えるのではないでしょうか?









これはもう日本人とか外人とか、そういった区別のなかで話し合える問題ではありません。







これは、あなた自身の問題です。











言語のカベとは表層的に目に映る事象であり、
日本人と外人という対立構造も幻想であり、
本当のカベは、人間の心にあるんだと思います。






















最後に僕の考えを述べます。



この「カベ」はこれからの世界における深刻な問題のひとつですが、ひとりひとりが変えていくことのできる問題でもあります。



皆さんひとりひとりが変わっていけば、世界は変わるでしょう。なぜならば世界は人と人のつながりでできているから。



世界を変えるのではなく、世界が変わるのでもなく、自分自身が変わるから、目の前に現れる人や出来事が変わる。



つまり問題は外部世界の現実にあるのではなく、僕たち自身と共にあり、現実を変えるためにはまず自らを変えねばならない。

それが世界を変えるということ。







そう僕は思います。


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